吉田 晋作さんのホ−ムペ−ジ

06.07.30翁草会作成

吉田さんはH17年夏まで翁草会の児島支部のリ−ダ−として活躍されていました。他界されたのは

其の年の8月24日でした。思えばお盆過ぎの残暑のきつい日でした。  病室ではメンデルスゾ-ンが

静かに別れの曲をかなでていました。

数年前から殆どの内臓を手術して、そのうえで抗がん剤の治療までやっていました。かなりきつそ

うて゜したが一言も弱音をはくことなく、音楽、ゴルフそしてパソコンの指導をしながら本職の手織

ジ−ンズの仕事をてがけて一応の目途をつけ、TVにもとりあげられました。

辞世の句  空蝉のつとめはたして朝の露

ゴルフはシングル、サックスも一流。在りし日の吉田氏

(1)パソコンとゴルフ                              2001.02.16
私も翁村に生えている72才になる、おきな草の一株です。最近は昨年夏の猛暑から今年の厳しい寒さが身にこたえて葉が少々萎れましたが根は人並み以上に元気だとまだ自負しています。
私のパソコン歴はかれこれ5-6年になるでしょうか。最初は会社でExcel を自習しましてキー
に触ることは何とか馴染んでいましたが、2年半前から会社を止めまして余暇が一度に沢山出来ました。
暇になったら是非やって見たいと思っていた手織物を早速始めました。最初に作ったのが手織
ジーンズの生地でした。人間の欲は無限に広がるものでしょうか、其の生地でジーンズを作ったら今度は其れをパソコンのホームページに乗せて広く意見を聞きたくなりました。
幸い翁村の村長さんはパソコンの大先生で、此の村長先生の主導でホームページが出来上がりました。其の過程でパソコンがこんなに難しいものとは思いませんでした。Excel, Word, Mail, H.P.
それぞれに難しいトラブルが潜んでいて、恐ろしい牙をむき出して襲い掛かってきます。
何度ももう駄目だ、もう止めた、もう逃げ出そう、と思ったかしれません。
私のゴルフ歴はもう35年以上になるでしょうか。習い始めの頃はゴルフは年寄りの遊び事ぐらいに思って気軽な気持ちで始めましたが、やればやる程難しくなって、結局ゴルフの球も100球
あれば100球ともトラブル球(難球)である事に気付きました。打とうと思えばデボットにある。バンカーで目玉になって居る。深いラフに沈んでいる。こうした難球を何とかクリアーしなければスコアーにならないのがゴルフと言うものであったし、こうしたトラブルを克服した時の爽快感がゴルフの醍醐味でありハンデーの上達である事を知りました。
パソコンで又此の味を苦しみながら味はっています。
然し年を重ねたお陰で人生は降りかかる困難と挑戦と克服との繰り返しである事も知りました。
死ぬまで目的を目指して挑戦する事を生き甲斐にしましょう。01.02吉田記

吉田晋作さんが育成した翁草

岡山第二中21期 55周年記念でサックス披露     音楽教室での発表会でサックスを演奏

 鶴の工房と吉田晋作氏(児島旧野崎邸前)  7月30日より稼動中の手織り織機

 吉田晋作写真集へリンク

06.07.07  中学同期の坪井壮三氏より初盆にあたって下記の記事がよせられました。

吉田晋作氏のことですが、尊敬するところが沢山ありました。

体の何箇所もがんに侵され苦痛でしょうが、

私等には何の泣き言も言いませんでした。いつも笑顔で接してくれました。

彼には頭が下がります。息を引き取る3週間前に見舞いに行きました所、私に

ゴルフを教えてくれました。(あの体で)私は有難うと申し上げて早々に失礼して帰

りました。

意志の強い方だと思います。月日のたつのは早い物ですね、

早一周きですね--以上吉田晋作氏の思い出を記しました。ご供養をお願い致します

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